「無人島に何かひとつ持っていくなら?」 A.棺桶です。
「無人島に何かひとつもっていくなら?」という問い。
「私は無人島に棺桶を持っていく」と言うと、悲観しきっているように感じるかもしれないが、これは安心と安全のためだ。
無人島でこの一生を終えることを仮定する。当然無人島なので死体は弔われることがない。もし餅を詰まらせて死んだら、その苦悶の顔のまま晒される。まっぴらごめんだ。
私は直射日光に弱いから、死んでも晒されてくはない。棺桶を持参して、毎晩その中で眠れる。そうすれば野垂れ死ぬリスクを半減させることができる。人間死ぬのは大抵晩だ。棺桶はベッドとしても使えて一石二鳥である。さらには夜にさまよう野獣からも身を守ることができる。合理的だ。
人間たるもの死を意識してこそ、光ある人生を歩むことができる。
生命は終わりあるものだからこそ美しい。死を考えることは一見生きることの対極のように思えるが、生死は切り離せない生物の宿命である。死はタブーではない。マザー・テレサの「死を待つ人の家」を知ったとき、初め私は「過酷なことをするなあ」と思った。まだ生きている人に死の訪れを待たせるなど、言語道断だろう。だが、身寄りもなく金銭的余裕もない人々にとって、「死を迎えることのできる環境」の保証は大きな安堵につながる。要するに、私が無人島に持っていく棺桶は「死を待つ人の家」なのだ。
よく、無人島に行くなら「やる気を持っていく」とか「勇気を持っていく」などと言う優秀な就活生がいるけれど、元々そんなものとは無縁の私には到底無理な話だ。
愛?勇気?優しさ?
そんなものを無人島に持っていくのは形而上世界の住人だけだ。
愛とか勇気だとか、そういうアンパンマンみたいな装備品は持ってないよーと
いう方、棺桶は手ごろでおすすめだ。金さえあれば買える。
そうだ、無人島に行こう。最後に有り金叩いて、棺桶買おう。