小説『Dear…』(作:親王)
Happy birthday to you
Happy birthday to you
狭い牢獄のような部屋で、俺は目を閉じて歌っていた。部屋は小刻みにガタガタと振動し、ときどき下の車輪が大きな石を踏むのか、ガッタンと尻が浮き上がる。
Happy birthday dear …
その先が出てこなくて、俺は口をつぐんだ。名前すら決めずに、出てきてしまった。
「ディア、ジェシー」
からかうような野太い声が、割り込んできた。
「なんだよ」
俺はかったるく瞼を持ち上げた。前には迷彩柄のよく似合う、屈強な男が立っていた。
「みんな言ってるぞ、お前の頭がおかしくなったって」
男は俺の前にどかりと腰を下ろした。肩から下げていた機関銃を、膝の上に置く。
「なんで」
「最近狂ったようにハッピーバースデイを歌ってるって。幻覚でも見始めたか」
男はきつい言葉とは裏腹に、白い歯を見せた。煤で黒ずんだ顔に白すぎる歯がよく映える。
「どうかしてるのはお前らもだろ。人の死を祝ってる」
「人の前に敵だ」
「敵の前に人だ」
「はあ」
男は大きく溜息をついた。「みんなわかってる。気持ちを切り替えろ。持たないぞ」
「ああ、冗談だよ」
俺は首を垂れた。小窓から入る外の光が、鉄の床を四角く切り取っている。
しばし沈黙が流れた。
車輪が溝に入ったのか、部屋がぐらんと揺れた。
「もうそろそろなのか」
男は、慎重に沈黙を破った。
「今日かもしれないし、明日かもしれないし、昨日かもしれない」
俺は俯いたまま答える。
「そうか。残念だったな」
「ああ、立ち会えるはずだったのに」
口にした途端、胸の奥から赤黒い何かが込み上げてきた。こめかみのあたりが熱くなって、拳に力が入る。
「くそおっ!」
壁を殴った。があぁん、と冷たい金属音が部屋に響く。
男は、無心な目で俺を見つめた。驚いた様子もなく、ただ黙っている。
俺は額に手を当てて髪をかき上げた。額に青筋が浮かんでいるのが、自分でもわかった。
「まあ、俺らにできるのは生きて帰ることだけだ」
男は機関銃を肩に掛け直すと、立ち上がった。いつから噛んでいたのか、ガムのクチャクチャという音が聞こえる。
俺は両手で顔を覆った。
「しばらくここで休んでろ」
男は言い置くと、部屋を出ていった。重たい扉がダン、と閉まる。
Happy birthday to you
Happy birthday to you
しばらくして、気がつくと俺は口ずさんでいた。壁に背をあずけ、ぼんやりとした意識の中歌い続けた。
Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday to you …
部屋は細かく振動しながら、俺を運んでいく。壁に下げられたリンクベルトが、音を立ててゆらゆら揺れていた。