『ヤモリが』 作:親王(ぶんげい分科会)
「きゃっ」
取り出した服に何かついていると思ったら、ぽとりと床に落ちるなり、さささっと箪笥の裏に入り込んだ。おそるおそる箪笥の裏を覗くと、イモリがじっとこちらを見つめていた。
「お母さん、イモリがいた」
母に報告すると、母は「どれどれ」と箪笥の裏を覗いた。壁に頬をべったりとつけている。
「ヤモリじゃないの」
「イモリじゃなくて?」
「イモリはこのヘンいないでしょ」
「どうして」
「だって水場ないし」
「そうなの?」
「たぶん」
母は箪笥の裏を覗いたまま、平板な声で答えた。
私も母の上に重なるように、壁にぺったりと頬をつけて覗く。親子の顔が、団子さんみたいに並ぶ。
「どうする、逃してあげる?」
上にある私の顔に、母は問う。
「えー、でもなんかかわいいじゃん」
私は、思ったままを口にした。じっと身を固めてこちらを伺うヤモリの姿が、愛くるしい。
「何考えてんのかな」
「何も考えてないでしょ、ヤモリだし」
「ヤモリは、両生類?」
「両生類はイモリよ。あんた、ちゃんと理科の授業聞いてた?」
母は呆れたように言って、立ち上がった。急に立ち上がるもんだから、母の黒い頭が私の鼻にごつんと当たる。
「いったー」
「あんた、時間大丈夫なの?」
痛がる私をよそに、母は壁に掛かった時計を見上げた。
三時十五分。
「あ」
私はひっつかんだ服に着替えると、サンダルをつっかけて家を飛び出した。
ばかねー、あんたは。母はさえずるような声で言いながら、何かおもしろいものでも見るように私を見送った。
電車がトンネルに入った。真っ黒く塗り潰された窓に、自分の立ち姿が浮かぶ。
いつもよりも、ぱっとしない服装だった。
いつもはこっちの方が性格明るく見えるとか、あっちの方が男子ウケが良さそうだとか、そんなことを考えて、私は大学に行く。けれど、今日は違った。ヤモリが付いてたヤモリウケのいい服を着て、私は大学に向かっている。
いつもより、身体が軽かった。普段は周囲の空気からはみ出ないように押し込めている身体が、はつらつと解放されている。
今日は、自分らしく行こう。
いつもより軽くて大きい足取りで、私はホームに踏み出す。
友達に嫌われるのも、好きな男の子に見てもらえないのも、怖くない。だって私には、ヤモリがいるんだもの。