早稲田大学マスコミ研究会

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三題噺から短編小説②

※三題噺では、指定された三つの言葉を使って作文を書きます。今回のお題は「ドライバー」「病院」「遠吠え」でした。 

 

タイトル:タクシードライバー

 

泥酔した人間をタクシーに乗せて、お役御免だと思っている連中があまりに多い。

同僚や友人が潰れたらとりあえずタクシーに乗せる。それが優しさだと思っているなら、誤解だ。泥酔した客は大抵ポケットから財布を出すこともできない。おまけに要らない「落とし物」を車内に残して行ったりする。「落とし物」の強烈な臭いと共に車を走らせるこっちの身にもなってほしい。下手に声を掛けると「うるせえ!こっちはお客様だぞ」と振りかざす。暴行を受けることもザラにある。タクシー業界は非常にストレスの多い職場だ。本当ならすぐにでも辞めてやりたかった。だが、そんなストレスとももうお別れだ。 

 

そんなタクシー業界の現状を打破するため、社で新たな福利厚生が導入された。月に一度、都内の特定職業病院にあるタクシードライバー科」で無償の受診が認められたのである。個人主義、多様化の時代。年齢、性別、職業、趣向。あらゆる個性に対応するため近頃は職業に応じて専門医が置かれるようになっている。噂では「パティシエ科」「女性アイドル科」なんてものもあるらしい。 

話を戻そう。

俺が初めて特定職業病院のタクシードライバー科」へ訪れたのは先月のことだった。「タクシードライバー科」は病院の5階にある。最後の客の「落とし物」を片付けたあとだったから、深夜1時くらい。この時間でも開いている外来は「タクシードライバー科」「ホスト科」その他いくつか。5階だけ煌々と電気がついているのも不気味だ。夜の病院なんぞ好んで来るものではない。病棟内は消毒剤の臭いが立ち込めていて、不気味な重低音も聞こえている。遠くで聞こえるナースコールは患者の急変の知らせか。50にもなって冷や汗をかくとはお恥ずかしい。 

診察室に入ると、温厚そうな初老の医師が待っていた。 

 

「今日はどうしましたか」 

「最近、不眠症気味なので睡眠薬を処方していただきたくて」 

「それは大変ですね。酔っ払いには絡まれますか?」 

「ええ。実は今夜も」 

「それはいけませんね。一日にどれくらい絡まれますか」 

「日に4度ほど」 

「ちょっと頻度が多いですね」 

 

 医師は回転椅子でデスクに向き合うとカルテに泥酔被害と記入した。少し思案顔をしたあと、腕を組んで俺を見る。 

 

無銭乗車とか、暴力もありますか」 

「たまにですが……」 

「やっぱり重症ですね。今日は何点か薬処方しますね」 

「お願いします」 

 

なんだ。「タクシードライバー科」というから、もっと専門的な質問をされるのかと思ったら普通の医院となんら変わりないじゃないか。急に力が抜けてくる。 

 

「今日処方する薬は……。まず睡眠薬ね。14錠です。夜寝る前に水で飲んでください。あとこれ[嘔吐抑制剤]です。注射で30本。吐きそうなお客さんの頸動脈に打ってください。それと[鎮静剤]ね。これも注射針ね。苛立ってるお客さんの左腕に打ってください。数時間気絶するかもしれないけど気にしないでね」 

 

なるほど、ドライバーだけでなく客用の薬も処方してくれるのか。タクシードライバーの健康のカギは客が握っているようなものだからな。医師はデスクの引き出しをゴソゴソと漁りパンフレットのようなものを取り出した。 

 

「これね。新しく始まったサービスで、皆さんに渡しているんです。無銭乗車とかどうにもできないような迷惑な客がいるでしょう。この地図にあるキャンプ場で降ろして下さい。置き去りで構いませんよ。しかるべき機関が適切に対処しますから」 

 

パンフレットはイラスト入りで分かりやすい。タクシードライバーの福利厚生も捨てたものではないなと思う。その時ずっと聞こえていたサイレンのような重低音が急に大きくなった。診察室の天井に振動が伝わる。けたたましい音だ。悲痛な音だ。 

 

「何の音ですか」 

 

思わず聞いた俺に、医師は驚いたような顔をする。 

 

「ご存知ないんですか?ドライバー科の行動療法ですよ。今はタクシードライバーさんが何人か屋上でやってますよ。日頃抱えている恨みや鬱憤を発声で晴らしているんです。深夜に叫び声が聞こえることがあるでしょう。あれは大体この叫び声です。どうです、あなたもやっていきますか?」 

 

なるほど、さっきから聞こえていたのはドライバーたちの遠吠えか。仲間の叫びなら何も怖いことはない。ここは明日からも仕事に邁進するための補給地点。もう迷惑な客に足蹴にされる俺ではない。ひと叫びして行くか。診察室の切れかけた蛍光灯がチカチカと点滅する。深夜に浮かぶ紙のような月が、俺のドライバー人生を祝福しているようだった 

 

※この小説はフィクションです。実在の人物や機関とは全く関係ありません。