転生したら八ツ橋だった件
私は幼い頃から、無類の八ツ橋好きである。
特に生八ツ橋。焼いてある八ツ橋も好きだが、生八ツ橋のニッキには敵わない。
まず、口に近づけた途端に広がる華やかなニッキの香り。
シナモン甘さとはまた違う、それがニッキ。モチモチと柔らかい。その中にあんこが鎮座している。ニッキの扉を潜り、柔らかな絨毯を抜け、あんこに邂逅する。なんと贅沢な時間なのだろう。
私の八ツ橋好きは幼稚園時代からであった。
祖母の家の仏壇に供られていた生八ツ橋を、わずか三歳にして盗み食いをするという大胆さ。しかも仏壇に向かって、あたかも手を合わせているかのように八ツ橋を食べた。悪ガキである。先祖も彼岸で呆れているに違いない。
京都の数々の老舗八ツ橋店の中でも、「聖護院」の生八ツ橋が好きだ。群を抜いている。豊潤なニッキに惹かれて、何度も盗み食いをした。井筒や西尾も有名だが、聖護院は正統派だ。邪道にはいかない。それでいて、東京近郊ではあまり買えない。心ではいつも聖護院の生八ツ橋を想っている。いわば、遠距離恋愛中。
近年、「プリン味」やら「マンゴー味」やら、得体の知れない八ツ橋が多く発売されている。私に言わせれば、「ニッキへの冒涜」である。ニッキの香りこそ、八ツ橋の醍醐味。プリン味が食べたいのなら、「プリンを食べろ」と言いたい。八ツ橋に甘えるな。
プリン味の八ツ橋よ、自分を安売りするな。客は八ツ橋にプリンを重ねているに過ぎない。傷つくことになるのは君だ。八ツ橋なんだよ。ニッキの誇りを忘れるな。
ニッキは奇跡だ。あれがなければ八ツ橋はここまでブレイクしなかった。ニッキの好き嫌いは分かれるが、ニッキが苦手な人は「八ツ橋」を語ることを許されない。
いや、私が許さない。