早稲田大学マスコミ研究会

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『サンタの匂い』ペンネーム:モリリン

「匂い変わった? すごくいい香り」

 姫が私のそばを通ると今までに嗅いだことのない上品な香りが鼻から入って脳みそを刺激する。一瞬あたりが真っ白になって、薄ピンク色の花が咲き乱れる草原にいるかのような感覚に陥った。

「フランスに出張してたお父さんがお土産に買ってきてくれた香水をつけてみたの。臭くない? ほら、海外の香水って匂いがきついイメージがあるから」

 私が感じたことをそのまま伝えると姫は嬉しそうに微笑み、軽い身のこなしでスキップをするように狭い教室のドアから出て行った。

 フランスに出張してたお父さんがお土産に買ってきてくれた香水、同じような境遇にある香水を知っている気がする。それは「気がする」という不安定で曖昧なものだが、私が「気がする」と思った時それはほぼ間違いなく事実として肯定されるべき確定要素であった。しかし、いつどこで誰とそんな内容の話をしたのだろうか。あるいは今回は私の「気がする」が外れてしまった例外的な事案なのだろうか。

 脳内の末端にある記憶の引き出しを開けるための鍵を探すことに神経を集中させていると、姫の香水の香りが一種の懐かしさを孕む記憶的遺産として感じられるようになってきた。どこかで嗅いだことのある、フランス、お土産、いい香り、そして姫。鍵を探っていた脳内の使者たちは散らばっていたいくつもの鍵を集めて何層もの壁に囲まれていた荘厳な金庫の元へとたどり着く。使者たちと同じように私の意識もそのただ一点にのみ収束され、金庫の扉を開こうとしている。そこに教室を出た姫が帰ってきて芳醇な香りを再び届けた。ひどく分厚いサビが剥がれる音がして、都合よく保管されていた記憶が鮮明な五感とともに蘇った。

 

 あれは今からちょうど十年前、私が小学校に入学して最初のクリスマスを迎えようとしていた時のことだ。私には今と同じように姫というあだ名のついた友達がいた。本名に姫という読みがあるわけではないが、服装や身のこなし方がお城に住んでいて白馬の王子様と結婚するお姫様みたいだったからそのあだ名がついた。みんなからはお姫ちゃんと言われていた。そんなあだ名をつけることに担任教師は濁った顔をしていたかもしれないが、女の子にとって小学一年生というのは恐ろしいほどお姫様に憧れてしまう避けては通れない人生の一時なのである。

 クリスマスが近づくにつれて、プレゼントは何にしようかな、という話が私たち女子グループの話の主軸をなすものになっていった。私は仲間外れが嫌だったから名目上はその話に参加していたが、その中で私は決まって肩身を狭くして愉快でない思いをしなければならなかった。

 私は当時親の都合でとある新興宗教のメンバーだった。そこには反キリストのような性格があって、小さい頃からクリスマスは悪なのだと両親からみっちりと教えられてきていた。サンタクロースなるものは悪人である。母は十二月になると口癖のように、そして呪文のように唱えた。

 そうだ、事件はクリスマスイブの夜に起きたのだ。

 その夜私は全く眠れずにいて、一人自分の部屋から自宅の庭を眺めていた。うとうとしてきて布団に戻ろうとした時、一瞬庭を黒い影が横切ったような気がした。長い銛で心臓を一突きされたような感覚があり、その場から動けない。でもその正体を知らなければならないと本能的な何かが告げていた。恐る恐るレースカーテンを開けて庭を見る。何もいない。いや、違う。庭の隅でうずくまった赤い何かが見える。赤と白の、そうだ、あれはサンタクロースだ。何度も母親に見せられてきた負の象徴サンタクロースだ。

 窓を開けて庭に飛び出すと、私はその小さなサンタクロース目掛けて飛びかかった。わずか七歳にして私の基盤には新興宗教の教えがびっしりと根を張っていて、悪人を排除しようとする強い使命感に襲われた。さらに恐ろしいことに、その教えは庭に侵入した悪人に飛びかかるというあり得ないほどにタフな七歳の女の子を作り上げてしまった。

 どうすれば退治できるのかを私はよく知っていた。団体を抜けた人を処分する光景を偶然見てしまったことがあった。首を絞めれば人は死ぬ、それは紛れもない事実として把握していた。サンタクロースの首根っこを両手でつかんで精一杯の力で握る。信じられないほどの力がみなぎってくる。サンタクロースがか細い声をあげて手足をバタバタする度に手の力は強くなっていった。あと少しで終わるというときに嗅いだことのあるいい香りが鼻を通り抜けた。頭の隅っこに押しやられていた記憶の断片が浮かぶ。フランスに出張してたお父さんがお土産に買ってきてくれた香水、そうか、お姫ちゃんの匂いだ、と私は思う。

 その香りのおかげで冷静になることのできた私は腕に痛みがあることと、赤と白の帽子をかぶって泣いているお姫ちゃんが私の下敷きになっていることを知った。その涙が苦しくて出たものなのか悲しくて出たものなのか。当時の私には判断することができなかった。

 彼女は何も言わずに走って家に帰ってしまった。痛みを感じた右腕の袖をめくってみるとそこにはくっきりと手の跡がついていた。五本の指が私の腕を強く握っていたことを示す揺るぐことのない証拠であった。きっとその跡からは恐怖と深い悲しみを感じることができたであろう。もちろん七歳児にそんなことはできないのであるが。

 

 私が引き上げることのできた記憶はここまでだった。この後私は不登校になってその一ヶ月後にちょうど引っ越すことになったからお姫ちゃんがどうなったのかということは知らない。

 右腕に違和感があったので袖をめくってみると、綺麗な三日月の痣が四つ並んでいた。それは紛れもなく人の爪によってできたものだった。小さな女の子の爪痕だろうか。今までこんな跡があるのに全く気が付かなかった。

 どこからか手が伸びてきて、そこに印刷された手形に自分の手をピッタリと合わせるように私の腕を掴んだ。

「懐かしいね」

 相変わらずいい香りのする姫が歯茎を見せて笑っていた。



『賢い娘とサンタを語る』ペンネーム:サカモト

「ねえママ、サンタさんているの?」

 

 今年6歳になった娘は、小首を傾げ上目遣いで尋ねてくる。自分の可愛らしさをよく理解しているのか、大きな目を宝石のように輝かせてこちらを見ている。あざとい。我が娘ながら恐ろしい。この子がキャバ嬢だったら無限に貢いでしまうだろう。というか、貢ぎたい。

 そんな可愛い娘から、親が困る質問ランキング第2位の質問である「サンタの正体」が飛んでくる。ちなみに1位は「子どもはどうやってできるか」、3位は「飛行機はどうやって飛んでいるか」だ。全国の親はこの質問に対する完璧な回答を用意しておくことを勧める。

 

「いるよ? だって去年も一昨年もプレゼント貰ったでしょう?」

 

 とりあえず、無難な返答。並の子供なら「うーん、まあそっか!」と納得し、おやつでも食べて忘れてしまうだろう。しかし、我が娘は一味違う。好奇心の塊である彼女は、ちょっとやそっとじゃ納得しない。

 

「えー、でも変だよ! サンタさんは戸締りしてるお家にも入ってきて、プレゼントを置いていくでしょ? そんな、ドラえもんの『オールマイティパス』みたいなことできたら、普通は泥棒しちゃうよね? やっぱり変!」

 

 なるほど、我が娘は6歳ながら少々賢いようだ。唯一指摘するとすれば、「オールマイティパス」はどこにでも入れる通行証であり、深夜の家に、誰にも気付かれず忍び込むための道具ではないことくらい。そこは「通りぬけフープ」かな。

 とはいえ、娘の言っていることは正論だ。私もそんな能力があったら、クリスマスプレゼントなど買わずにスーパーから拝借する。なんならもう一生働かない。はて、いかに返答したものか......。少し考えた私は、簡単な嘘で誤魔化すことにした。

 

「実は、サンタさんには試験があってね。綺麗な心を持っている人じゃないとサンタにはなれないの。だから、泥棒しようと考える人はそもそもサンタになれないのよ」

 

 我ながら悪くない返答だ。これならサンタが盗みを働かない理由として十分だろう。しかし、娘はまだ納得していないようだ。愛らしい眉をひそめ、口を尖らせ、疑った顔をしている。

 

「でも心が綺麗かなんて何で判断するの? いくらでも嘘つけちゃうじゃん!」

 

 当然の疑問だ。しかし、その回答も既に用意してある。

 

「ふふっ、簡単よ。サンタさんは子どもがいい子か悪い子か調べて、いい子にだけプレゼントをあげているでしょ? これは、サンタクロースが良い心を見分ける能力を持っているからなのよ。あなたもいい子にしていないと、今年のプレゼントを貰えないかもよ?」

 

 6歳が大人を論破しようなんて10年早い。私はドヤ顔で答えた。最後に「いい子にしなさい」というメッセージも込めることで、情操教育にもつながるだろう。

 これで納得してくれるはずだ。しかし、娘はしたり顔で追及してくる。

 

「でも、いじめっ子のタクヤくんもプレゼント貰ってたよ? いつも誰かの悪口言ってるエミちゃんもプレゼント貰ってたし。サンタさんは、あの子たちが悪い子だって見抜けないの?」

 

 くっ、我が娘ながらやりおる。タクヤくんにエミちゃんめ。悪い子のくせにプレゼントを貰うなよ。

 

「えーと、それはね......」

 

 返答に困っていると、娘は少しニヤニヤしながら、

 

「ママ、いじわるしてごめんね?」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、いつもの上目遣いで謝った。なるほど、コイツすでにサンタの正体を知ってたな。どうやら娘の方が一枚上手だったようだ。我が娘は、とても賢い。

『スズメを踏んだ日』 ペンネーム:サカモト

 夏休みのラジオ体操は退屈極まりなく、ぼくは眠たくて仕方がなかった。子どもの生活リズムを乱さないためにあるのだろうが、余計なお世話すぎる。都会の子どもは夜更かし上等、早寝早起きなんてくそ喰らえだ。

 

 その帰り道、道にスズメの死体が転がっていた。住宅街にスズメが落ちているというのは異質なもので、明確な非日常としてかなり目立っている。しかしながら、通り過ぎる大人や子どもは気にかけもしない。そんな冷たい奴らをにらみつける。このスズメは、このままカラスや野良猫の餌になってしまうかもしれない。あるいは、誰かが踏みつけてしまうかもしれない。そんな想像をしてしまった以上、スズメを見捨てることなんて出来なかった。持っていたハンカチにスズメを包み、大事に抱えて家に持ち帰った。

 

「スズメのお墓を作ってあげよう」

 そう思っていたもののその日眠気は凄まじく、家に帰るなりソファで居眠りをしてしまう。起きたら、スズメを埋めてあげようと思っていた。

 

 そんなぼくを起こしたのは、ヒステリックな母の声だった。

「きゃっ! 何よそれ‼︎」

「あ、スズメが落ちてて、可哀想だったから……」

 このとき、ぼくは少し期待したことを覚えている。ぼくの優しさを肯定し、一緒にお墓を作ってくれる母を期待したのだ。しかし、母はそんな甘いセリフは言ってくれなかった。

「汚い! 捨ててきなさい!」

 愕然とした。母にとって、スズメは汚物だというのか? 朝から母と大喧嘩をした。反抗期だったぼくはなかなか酷いことを言った気がする。要反省である。

 

 母の良いところは、喧嘩の後の仲直りが上手いところであった。言い争いから1時間ほどして、すぐに謝ってくれた。

「ごめんね、でも動物の死骸は菌があって汚いの。触ると病気になるかも知れないし......。分かってね」

 いつも通り、ぼくと母の喧嘩は手短に終わる。

 

 母の「汚い」という発言は、ぼくを慮ってのことだったのだろう。しかし、『死骸』という表現が気に障った。息子への愛情はあっても、スズメへの同情は無いようだ。差別主義者の母に勧められ、スズメを近くの公園で埋めることにした。スズメを持って家を出て、公園へと歩く。

 

 歩きながら、母とぼくの違いを考える。母はスズメよりぼくを優先した。見ず知らずの野生動物より子どもを優先するのは当然といえば当然だ。しかし、母は生きられなかったスズメに同情する様子はない。これが普通なのか?

 

 考え続ける中で、一つの仮説が浮かび上がる。スズメに同情しない母の考えこそ正しいんじゃないか? 人が生きる以上野生動物が死ぬことは当然である。ぼくたちは豚や鳥を殺して食うことで生きている。動物一匹の死に心動かされることは弱さで、間違っているんじゃないだろうか。

 自分に自信がなくなった。スズメを拾ったぼくはスズメを無視する人々より幾分かマシな人間と思っていたが、どうもそうではないらしい。強い人はスズメの死に何の関心も抱かないのかもしれない。

 

 ぼくは強くなれるだろうか。ふと、試してみたくなった。公園の端、林の中へ歩く。ここ数日ずっと晴れていたからか、地面はすっかり乾き硬くなっていた。ぼくは、乾いた地面へ勢いよくスズメを叩きつけた。ズキッと胸が痛む。同情する相手に非情な行いをするなど、気分のいいものではない。

 しかし、こんなことではいけない。死体にいちいち同情するなんて情けない。そう思い、スズメを力いっぱい踏みつける。胸の痛みは頂点に達し、どこか恐ろしくなったぼくは逃げるようにその場から去った。結局、ぼくは強くなれないようだ。

 

 スズメはあの後どうなっただろう。カラスや野良猫の餌となっただろうか。はたまた、土に還ることができただろうか。その結末を気にする時点で、ぼくは弱いのだろう。

 

ドロップアウト ペンネーム:親王

「乗って。荷物は後ろね」

 流線型のきれいな、青い車から顔を出した時田くんは親指で後部座席を指した。

 

『どっか連れてって』

 そう彼に連絡したのは、今日のお昼休みだ。今日なんとか間に合わせた企画書、そして迫り来る明日のプレゼンのことを思ったとたん、背中を何かに押されるような、向かい風でうまく息が吸えないような感覚に襲われた。冷や汗をかいた私は、助けを求めるようにほぼ反射的に彼に連絡した。

『いいよ』

 一分も待たずして、すぐに返信があった。

 さすが時田くん。思いながら、私は仕事の終わる時間を告げた。

 

「どこいく」

 バホン、と扉を閉めて座った私に時田くんは問うた。背を猫のように曲げて、カーナビをピコピコいじっている。

「どこがいいかな」

 自分で誘っておいて、私は何も決めていなかった。時田くんと会うときはいつもそうだ。

「ボウリングとか」

「いや」

 私は首を傾げた。そういう気分ではない。

「じゃあ、カラオケ?」

 それもまた違う。

「うーん、山、かな」

「やまぁ?」

 時田くんはすっとんきょうな声を上げて、私の顔を見た。

「うん、山」

 私は淡々と頷いた。

「まあ、いいけど」

 時田くんはカーナビに顔を戻し、「やまやまちかくの山は」なんて呟きながら、カーナビを指でつつきはじめた。

 

 しばらく走ったところで、本当に山が見えてきた。オレンジがかった空を背に、山は黒々と浮かんで見えた。

「山だ」

「そりゃね」

 感動する私をよそに、時田くんは左右確認をしている。

 その山は、まったく隙のないように見えた。木々がもりもりと敷き詰められていて、一つの塊のように見えた。

「あの山、入れるの?」

「一応。車で登れるっぽいけど」

 私は首を伸ばして、ナビを覗いた。なるほど、ちゃんと到着地点に指定できている。

「本当だ」

「まあ、無理そうだったら引き返すべ」

 彼は言って、車をぐんと前進させた。

 

 山には、たしかに車で入れた。錆びついたガードレールにがたがたの車道は不安を煽ったけれど、コンクリートの道は続いていた。

 時田くんはハンドルをほぼ一定の角度に傾けたまま、正面を見続けていた。木々の影から続々とコンクリートの道が現れて、我々を上へ上へと連れて行く。だいぶ傾いた夕陽の光を受けて、道は金色に輝いていた。

 

「もう、終わりかな」

 しばらく登ったところで、車道は突如終わりを告げた。川の源泉の泉のように、道の終わりは少し広くなっていて、落ち葉が溜まっていた。

「降りるか」

 時田くんはシフトレバーを動かすと、シートベルトを外して外に出た。フロントガラスの前に出た彼を追って、私も外に出る。

「すげえ」

 先に立った時田くんは、泉の端から見える景色に声を上げて私を振り返った。

 時田くんの隣に並んで、私も目を見張った。

 荘厳な景色だった。手前には木々が、その向こうには街があった。街の向こうに落ちかけの夕陽が光を投げて、その光でこちらの木々の葉が照っている。

 アー、アーと空から乾いた声が聞こえた。見上げると、頭上には無数のカラスが飛び交っていった。死体でもあがったのだろうか、みな思い思いに身体を傾け、羽をばたつかせ、上昇と下降を繰り返している。

「この後、どうする」

 時田くんは私の方を見た。時田くんと私の間に光がさして、白いチラチラしたものが浮いて見える。

 さてどうしたものか。もう少しリフレッシュした方がいいか。しかし、何かに追われるような感覚は既に消えていた。

「帰る。明日も仕事だし」

 私が答えると、時田くんの顔が少しだけ歪んだ。時田くん自身も気が付かないくらいの、わずかな歪み。

「そうだな」

 時田くんは鼻の下を擦って、ポケットから車のキーを取り出した。さっきまで「すげえ」と絶賛していた景色には目も暮れず、車に戻って行く。

 どうしてそんな顔をするの、時田くん。

 私は時田くんが見捨てた景色に、ふたたび視線を投げた。

 私たちは、そういう関係にはなれない。そういう抜き差しならぬ関係には、なりたくないの。あなたは私にとって、時間からも、男女のしがらみからも逸脱した、いわば息継ぎする場所なんだから。

『この新聞部にはヘン人が多すぎる⁉ ~第一章 美術部殺人事件(前編)~』 ペンネーム:ぺいぺい

「おっほん。それではネタ出し会議を再開する。何か面白いネタがあるヤツはいるか?」

  口元にチロットチョコの残骸を残しながら、部長は問いかけた。

「じゃあ、私から提案しますね」

  そう言うと副部長はニタ~っとした笑みを浮かべながら続けた。

「私たちの学校の生徒会長とお向かいさんの生徒会長に熱愛疑惑が浮上したの! きっかけは、今年の合同学園祭に向けての会議で、すでに交際期間は一か月」

 と暴走した機関車のように熱を帯び、煙を上げながら話した。

「ちょっと待った。一花、お前プロローグではあんなにクールなキャラだったのに、いきなり残念な部分さらけ出して大丈夫なのかよ」

「希ちゃん。私は他人の恋愛話とだったら、抱いて溺死してもいいわ。ましてや、うちの生徒会長×お向かいさんの生徒会長なんて、……っくう~、最高だわ」

 とキャラ崩壊を心配する部長をよそ目に、副部長は堂々と、そして最高な笑顔を浮かべていた。

 そう、副部長は相当重度なカプ厨なのだ。私が新聞部に入部した時も、副部長は私と梨沙をまじまじと交互に見て、『八〇点、合格よ』と言った。

 当時は、その言葉の意味がよく分からなかったが、今はよく分かる。勝手に掛け合わせやがって。

 ちなみに、お向かいさんというのは、私たちの女子高から100ⅿ程離れた所にある、新星男子高等学校のことだ。隣接校同士の交流を重視するという名目で、毎年11月に行われる学園祭を共同開催している。

 そんなことより今は目の前のバーサーカーをどうにかして落ち着かせないと、新聞が恋愛話一色になってしまう。そう私は思い、もっともらしい理由をひねり出した。

「副部長。他人の恋愛話を新聞に載せるのは、個人情報的な観点からまずくないですか?」

  よし、この理由なら副部長も納得してくれる。と思った矢先、副部長はまたニタ~っとした笑みを浮かべながら

「大丈夫よ。ちゃんと個人情報は伏せて載せるわよ。私、二人についてはもっと情報持っているけど載せる気はないわ。例えば、お相手の生徒会長の名前は伊藤翔太、一七歳。血液型はO型、身長176㎝、体重70㎏、出生体重は2873g、小学校は……」

「ちょ、ちょっと待ってください。副部長、どこからそんな情報を入手したんですか? そんな詳細な情報、市役所のデータベースをハッキングでもしない限り出てこないでしょ」

「あら、楓ちゃん。乙女の秘密を暴くのは禁忌よ」

  副部長は子供を諭すように私の頭をなでなでしながら言った。

  いや、個人情報ダダ洩れだし、この情報を手に入れる手段なんてほぼ犯罪だろと思ったが、何とか飲み込んだ。

「と、とにかく、私はこのネタを新聞に載せるのは反対です」

  と私はこのネタへの反対の声をなんとか挙げられたが、副部長から不穏な雰囲気を感じた。

「あら、残念。私、このネタ以外なら、うちのある学生が中学生の時に作った、まだ出会ったことのない運命の人を恋い慕う詩を入手したぐらいしか」

「ああああああああああああああああああああああああああ」

  この人は私の中学卒業とともに無理心中させた黒歴史を、ゾンビのように生き返らせようとしやがった。

 この黒歴史だけはみんなに知られるわけにはいかない。

「……賛成です。……私は生徒会長同士の恋愛スクープを記事にするのに賛成です」

  この日、私、元町楓は副部長こと凛堂一花に完全敗北しました。そして、もう少しで私は死体になり、新聞部内で殺人事件が起こるところでした。

 この後、自分たちの黒歴史を暴かれるのを警戒してか、部長と梨沙の二人ともがマッハで生徒会長同士の恋愛スクープに賛成し、採択された。

 副部長は大変満足した表情をしていた。

「他にあるヤツいるか?」

「はーい。私、面白い情報を入手したよ」

 不穏な空気を打ち破るように、元気よく梨沙が手を挙げた。

「どうせ、たいしたことない情報だろ?」

「ひどいなぁ~、希ちゃんは。でも、今回は本当に面白そうな情報だよ。うちの美術部についての話なんだけど~」

「また、あいつらか」

 と美術部と聞いて、部長が怪訝な顔をした。

 うちの美術部は、全国大会で金賞を受賞するぐらいの強豪なのだが、女子高生が描いたと思えないぐらいのグロテスクな絵を描くことが多く、周りの学生から少し距離を取られている。簡単に言えば、変人集団だ。そのためか、新聞部的にはネタにしやすい行動を起こすことが多い。

「最近、変な儀式的な事をしているらしくて、生贄がどうこうっていう話をしているのを聞いたっていうタレコミをキャッチしたんだよね。そこで、今から美術部に突撃してみない?」

 さすが、怖いもの知らずの梨沙だ。私は美術部とは関わりたくないが、このままでは新聞が恋愛話一色になってしまうもの事実だ。

 部長もそのことを分かっているのだろう、渋々だが美術部への突撃を許可した。

「じゃあ、いくよ~。たのも~」

 と梨沙が元気よく扉を開けた。途端、私たちは信じられない光景を目の当たりにした。

 嗅いだことのない異臭。床には魔法陣のような幾何学模様が描かれ、その上に人が一人うつぶせになっていた。

 そして、その人は蠟人形のように微動だにせず、ただ真っ赤な液体を垂れ流し続けていた。

 右を見ると、紅染まった包丁を持った人物が一人。

 その人物の後ろには、死神が鎌をフルスイングで素振りしているのが見えるぐらいの殺気を感じた。

 そう、私たちは女子高生の死体が転がる、殺人現場に遭遇してしまったのだった。

『プラナリア ~影の正体と終わりのない空間~』(ペンネーム:ぺいぺい)

 ドク、ドク、ドク、ドク、……

 不気味な心臓の高鳴りを感じながら、僕は夢を見た。幼い頃の最悪な記憶。それは忘れたくても忘れられない、僕が母親に捨てられた時の記憶だ。

 

 僕が生まれて間もない頃、父親が交通事故で死んだ。それ以降、母親は僕を養うため昼夜問わず働いていたが、労働へのストレス、僕を育てる義務感、金銭的に困窮した生活。さまざまな現実に押しつぶされそうになり、母親は限界を迎えた。

 

 三歳の誕生日。親は僕を捨てた。

 

 その時、僕は心の奥底で形のないモヤっとした負の感情が湧き出てくるのを感じた。それはまるで、自分の体がプラナリアのように分裂し、新しい自分が生まれたかのような感覚だった。

 

 母親に捨てられた僕は、行く当てもなく途方に暮れているところを、警察官に保護され、孤児院に預けられた。孤児院には、僕と同じように親に捨てられた子供たちがたくさんいた。中には、親からの虐待を受け、殺されかけた子供もいた。親に捨てられたという同じ境遇を経験した同世代の子供たちにシンパシーを感じ、共同生活をしていく中で、少しずつだが心の奥底にあるモヤっとした負の感情が和らいでいった。

 

 僕が転機を迎えたのは、十歳の誕生日だった。優しそうな中年の夫婦が孤児院にやってきた。夫婦は結婚して十年を迎えたらしいが、不幸にも子宝には恵まれず、養子縁組で子供を引き取ろうと孤児院に来た。今までも養子縁組で子供を引き取ろうと何人もの夫婦が孤児院を訪れたが、この日訪れた夫婦からは今まで経験したことない、陽だまりのような温かさを感じた。幸運なことにこの夫婦は僕を選んでくれた。

 

 十歳の誕生日。僕は小鳥遊家というプレゼントをもらった。



「お母さん、おはよう」

 

 いつものように、僕は二階にある自分の部屋を出て階段を降り、リビングで朝食を用意してくれているお母さんに挨拶をした。

 

「おはよう、直人。そして、お誕生日おめでとう。あんたも、今日で十八歳になったんだね。」

 

「うん。お父さんとお母さんが僕を引き取ってくれて、今日で八年目。その間に、いっぱいの愛情を注いで育ててくれてありがとう。そして、これからもよろしくね。」

 

「っ……朝から何よ……母さん、あんたがこんないい子に育ってくれて、うれしくて涙出ちゃったじゃない」

 

と母は嬉しそうに笑いながら涙を流した。

 

 朝食を食べ、身支度を整え、玄関に向かった。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい。今日は、あんたの誕生日だからごちそう作って待ってるわね。父さんも会社の帰り道でケーキ買ってきてくれるからね」

 

「うん。楽しみにしてる」

 

 そう言って、僕は学校へ向かった。

 

 学校では、仲のいい友人たちが誕生日を祝ってくれ、プレゼントまでくれた。母親に捨てられた時には想像もしていなかった幸せな生活に、満足感を抱いていた。

 

 終業のチャイムが鳴り、僕は帰路についた。いつものように途中まで、友人とおしゃべりしながら帰り、いつもの交差点で別れ一人になった。その時、それは突然現れた。

 

「よう、久しぶりだな」

 

 黒いフードを被ったあやしげな男に話しかけられた。突然話しかけられ思考が追いつかなかったが、なぜかその男から懐かしさを感じ、どうも僕はその男を知っているかのような気がした。

 

「あなたは誰ですか? あなたのことはなんとなく知っているような気がするのですが、どこかでお会いしましたか?」

 

「ははは、それはないぜ。長い付き合いなのに、そんな他人行儀な態度があるか」

 

 そう男は笑いながらフードを取り、顔を見せた。その瞬間、僕はあの不気味な心臓の鼓動が高まり、後頭部を鈍器で殴られたこのような衝撃を感じた。

 

「……あ、あなたは……僕!」

 

「そうだぜ。俺は小鳥遊直人。もう一人のお前だ。」

 

 何度も鏡越しに見た顔、少し声高な声、特徴的な右眼の下にあるほくろ、どれをとってもその男は寸分たがわず、僕自身に違いなかった。

 

「俺は、お前が本当の母親に捨てられた時に生まれた。非情な現実への恨み、母親への憎しみ、お前自身の負の感情によって俺は生まれた。言わば、俺はお前の影、負の感情が色濃く反映された別側面ってわけだ」

 

「っ……そんなわけない。僕はお父さんとお母さんに引き取って育ててもらって、幸せを与えてもらったんだ。いまさら過去の……母親のことなんて、僕に関係ない!」

 

と僕が強く否定すると、もう一人の僕は満面の笑みを浮かべながら言った。

 

「ははは、滑稽だなぁ。だから俺がここまで成長できたんだよ。お前は、本当の母親に捨てられた過去から背を向け、偶然目の前に転がり込んできた細くて脆い幸運の糸を切らさないように、必死に優等生を演じ、自分を偽りながら生きてきたに過ぎない」

 

「っ……ち、違う……! 僕は、お父さんとお母さんの子供になって生まれ変わったんだ」

 

「いーや、違う。お前は、ただ信じたくない現実から目を背け生きてきた、軟弱な人間のままなんだよ。お前の本当の母親がつらい現実から背を向けお前を捨てたように、お前は母親に捨てられた現実から背を向け続けてきただけだ。親が親なら子も子、所詮、血筋には逆らえないんだよ!」

 

 もう一人の自分に考えもしなかった、いや彼の言う通り考えることを放棄していた現実を突きつけられ、僕は全身の力が抜け放心状態に陥った。そんな状態の僕に、もう一人の僕は冷酷な口調で『死』を宣告した。

 

「ネタばらしはここまでだ。お前の体をいただく」

 

 そう言ってもう一人の僕は僕の頭を鷲掴みにし、落ち着いた様子で唱えた。

 

『Inversion』

 

 途端、黒い霧のような何かに体が覆われ、僕はなす術もなく取り込まれた。



 落ちていく───落ちていく───落ちていく───落ちていく───

 気がついた時、僕は辺りに何もない真っ暗な空間にいた。何もなく、終わりのない空間。あるのは、底がない穴に落ち続けるような落下感のみ。

 声を出してみたが、何も聞こえない。おかしい、自分の声さえ聞こえないのだ。何度も試したが、結果は同じだった。今まで感じたことのない孤独感、母親に捨てられた時よりも濃密でねっとりとした恐怖を感じた。

 

(こんなにも何もなく、終わりのない空間で永遠に落ち続けるぐらいなら、自殺したほうがましだ)

 

 そう思った僕は舌を噛んで自殺しようとしたが、それすらできない。体が動かせない。ここには自分に共鳴してくれるものが何もないのだ。自分の声に共鳴してくれる空気、自分の指示に共鳴し即座に動いてくれる体、普段無条件に共鳴してくれる当たり前の存在がここにはない。

 そして、この空間では死、つまり終わりすら与えられない。生物には活動限界、つまり死という終わりがある。なのに、ここにはその終わりすらない。死という終着点を失った生物は、一体どうなってしまうのか。僕は何もなく誰もいない、地獄すら天国に見えてしまうこの空間の中で絶望した。

 

 随分と時が流れた……ような気がする。ここには、時間という概念も存在しない。だから、一五分しかたっていないかもしれないし、一ヶ月ぐらいたったのかもしれない。体の感覚はすでになく、自己認識だけかろうじて残っている。しかし、とうとうその自己認識にまで、異常を感じた。

 

(……あれ、……ボクは何モノなんダッケ……)

 

 思考がままならなくなり、意識が薄れ、自分を認識できなくなってきた。すると突然、僕は落雷に打たれたかのような衝撃を感じるとともに、一つの考えが走馬灯のように浮かんできた。

 

『人間は他人から認識されることで初めて存在できる。そして、その認識を簡易かつ確実なものとするために、識別コードとして名前という手段を用いる。人間は誕生して、親から名前を与えられる。親が子に名前を与えて認識することで、子はこの世界に存在できるのだ。つまり、人間は単独では存在できず、周りのあらゆるものに認識、共鳴してもらって初めて存在を確立できる、か弱い生物。』

 

 そんな大切なことに、ボクはすべてを失い、何もないこの空間に来て初めて気がついた。

 

 今なら、誕生日の本当の意味がよく分かる。誕生日はプレゼントをもらえたり、ごちそうを食べられたり、普段とは違う特別な一日。でも、それらはすべて目的ではなく手段。誕生日の目的は、年に一度、他人からこの世に誕生したことを祝われることで、自分がこの世に存在していると自分自身で強く認識することなんだ。その目的をより達成しやすくするために、プレゼントやごちそうといったインパクトの強い手段を取っていたに過ぎなかった。

 

 なのに、いつからかボクは、その目的を忘れ手段ばかりに目をやっていた。そして、ボクが過去に背を向け、本当の自分を認識しないように目を塞ぎ続けている間、もう一人のボクは、心の奥底で毎年誕生日を迎えるごとにその存在の認識を強固なものにし続けてきた。周りからの祝福を外側しかないボクでは受け止められず、俺が受け止め、他人からの認識を成長の養分にしていたんだ。

 

 いまだに続く落下感、自己認識の欠如、そして、ついに感情すら湧いてこなくなった。

 

(ボクはキエルのか……いやだ、イやだ、イやダ……ダレかタスけて……イヤダ……)

 

 それが、ボクにとって最後の感情だった。

 

 十八歳の誕生日。本当の自分に向き合わず、外側しか構成してこなかった中身のない僕は、外側を持たなくとも中身を濃密に成長させ続けた俺に外側を乗っ取られ、僕は終わりのない空間に囚われた。そして、俺が誕生した。

 

小説『Dear…』(作:親王)

 Happy birthday to you 

 Happy birthday to you 

 狭い牢獄のような部屋で、俺は目を閉じて歌っていた。部屋は小刻みにガタガタと振動し、ときどき下の車輪が大きな石を踏むのか、ガッタンと尻が浮き上がる。

 Happy birthday dear …

 その先が出てこなくて、俺は口をつぐんだ。名前すら決めずに、出てきてしまった。

「ディア、ジェシー

 からかうような野太い声が、割り込んできた。

「なんだよ」

 俺はかったるく瞼を持ち上げた。前には迷彩柄のよく似合う、屈強な男が立っていた。

「みんな言ってるぞ、お前の頭がおかしくなったって」

 男は俺の前にどかりと腰を下ろした。肩から下げていた機関銃を、膝の上に置く。

「なんで」

「最近狂ったようにハッピーバースデイを歌ってるって。幻覚でも見始めたか」

 男はきつい言葉とは裏腹に、白い歯を見せた。煤で黒ずんだ顔に白すぎる歯がよく映える。

「どうかしてるのはお前らもだろ。人の死を祝ってる」

「人の前に敵だ」

「敵の前に人だ」

「はあ」

 男は大きく溜息をついた。「みんなわかってる。気持ちを切り替えろ。持たないぞ」

「ああ、冗談だよ」

 俺は首を垂れた。小窓から入る外の光が、鉄の床を四角く切り取っている。

 しばし沈黙が流れた。

 車輪が溝に入ったのか、部屋がぐらんと揺れた。

「もうそろそろなのか」

 男は、慎重に沈黙を破った。

「今日かもしれないし、明日かもしれないし、昨日かもしれない」

 俺は俯いたまま答える。

「そうか。残念だったな」

「ああ、立ち会えるはずだったのに」

 口にした途端、胸の奥から赤黒い何かが込み上げてきた。こめかみのあたりが熱くなって、拳に力が入る。

「くそおっ!」

 壁を殴った。があぁん、と冷たい金属音が部屋に響く。

 男は、無心な目で俺を見つめた。驚いた様子もなく、ただ黙っている。

 俺は額に手を当てて髪をかき上げた。額に青筋が浮かんでいるのが、自分でもわかった。

「まあ、俺らにできるのは生きて帰ることだけだ」

 男は機関銃を肩に掛け直すと、立ち上がった。いつから噛んでいたのか、ガムのクチャクチャという音が聞こえる。

 俺は両手で顔を覆った。

「しばらくここで休んでろ」

 男は言い置くと、部屋を出ていった。重たい扉がダン、と閉まる。

 

 Happy birthday to you 

    Happy birthday to you

 しばらくして、気がつくと俺は口ずさんでいた。壁に背をあずけ、ぼんやりとした意識の中歌い続けた。

 Happy birthday to you 

 Happy birthday to you 

 Happy birthday to you …

 部屋は細かく振動しながら、俺を運んでいく。壁に下げられたリンクベルトが、音を立ててゆらゆら揺れていた。