早稲田大学マスコミ研究会

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「無人島に何かひとつ持っていくなら?」 A.そもそも、どういった経緯で無人島に行くんですか?

無人島に何か一つ持っていくとしたら、あなたは何を持っていきますか?」 

 

この文言を聞いて自然と想像するのは、無人=自分以外誰もいない=助けてもらえないという前提の下で、いかに生き延びるかという話になりそうだ。では一体何を持っていれば命を長らえさせられるのか、と。 

 

だが、よく考えてみたい。誰がそんな設定を決めたのだろうか。

 

ロマンを求めて冒険欲に駆られた一部の「勇者」たちや、新人社員を連れ立って彼らの潜在能力をみてみようといった試みあるいはWi-Fiつながらない南の無人島で人間関係のストレスから解放されるバカンス、……

思いがけず漂流してしまった!助けが来るまでどうにか生き延びなければ!なんて、いまどきそうそうない。

人は水を3日飲まずとも、食べ物なら7日食べずとも生きることはできるというし、人は一人で生きてはいないのだから、一日行方不明でも気付かれない人はほとんどいない。

 

 

こう考えていくと、最初の問いの前提では、そこでいかに自足できるかという話なのはともかくいつの時代どの場所で一人なのか複数人なのかどういった経緯での話なのか、状況がよくわからない。 

 

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心の声 (面接官、時代錯誤ではありませんでしょうか)

 

そんな条件で、どことも知れぬ無人島に何を持っていくか。 

なにがなんでも死なないためには、やはりサバイバル・テクニックが有効だろう。どんな無人島においてでも役に立つことがあるはずだ。水の確保の技術が役に立たないはずがない。食べ物は加熱処理をすればいくぶんか食べられるようになるが、火の起こし方も知識がものをいう。あの木の実は食べられるのかどうか、魚を取る方法や、寝場所の作り方など、知っているほど生きやすくなる。知恵を、サバイバル本を持っていきたい、と考える。

 

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蘇れ!太古のサバイバルテクニック!

 

しかしこの問いにおいて、何か一つ選択して持ち込めるということは、少なからず無人島に行く前に準備期間があることは確実だろう。すると、準備の一環としてサバイバル・テクニックを頭に入れて練習しておけば、本の形で持っていかなくても済むはずで、そのためにたった一つしか選べない持参品をサバイバル本にするのはコスト高ではないだろうか。

 

では食料を、といっても基本的に飢えを感じずに生活させてもらっている身には、エネルギー消費が足りないと感じているため、むしろ多少の飯抜きは歓迎したい。ほんとうに飢えたとしても、持っていけるだけの食糧には限りがあり、底をつけば助からないので、食糧はその場で得られるようにした方が長期的に見るといいように思われる。

他には……、と考えてもまだサバイバル本を開いてもいないので、何を持っていくのが一番便利かなんて見当がつかないし、優先順位がわからない。

 

 

わからないなりにひとつ。代わりが利かない道具という点では小刀だろうか。

錬金のマンガでも無人島に放り出された少年二人に渡されたのは、小刀ひとつだった。彼らはそこで世界の真理について考え、ひとつの結論を出すわけだが、彼らの島での生活も、30日間と決められ、命を奪われるような獣はおらず、一応保護者がついていた。魔法の杖を持っていくわけじゃないから万能ではないが、持って行って使わないことはなさそうだ。 

 

 

しかし、どんな経緯で無人島に行くのか分からないのにもかかわらず、わざわざありきたりな物語のプロットにのって、サバイバル・ゲームに没入する義務なんてないはずだ。生き延びることだけに終始していても味気ない。もちろん短期間の滞在とわかっている場合に限るが、すぐ救助が来る数日間の無人島というのなら、普段できない楽しみがあるのではないだろうか。それも、ありふれた代わりの利くようなものでない何か、だ。

 

 

ここからは個人の好みになるが、望遠鏡を使って星を見たいというのが私の答えだ。普段の生活にはなく無人島にあるもののひとつは星だ。少なくとも大気の綺麗さは無人島の方が上なので、街ではかき消される小さな星々の姿を無人島ではしっかりと捉えられるだろう。そして島の位置にもよるが、その場所からしか見ることのできない景色というものが必ずある。そんな場所で天体望遠鏡でも持って行って星を観たのなら、その時その一瞬の光景・記憶は、何にも代えがたい価値を持つだろう。これまでの天体学者たちが発見してきた神秘を体感したり、夜空を廻る生き物たちの物語や神話に思いを馳せたりと、「無人島」という響きから感じるものよりもずっと文明的で文化的な楽しみ方ができるはずだ。あるいは銀河を走る鉄道やその停車場を探してみるのも悪くはないだろう(同行者がいる場合、この考えを知られると頭がおかしくなったと思われるはずなので、秘かに楽しむのがいいだろう)。命は捨てないように準備をして、あとは精一杯その場を楽しむ。そんな選択肢もあっていいと思う。

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見上げてごらん夜の星を~~♪

(でもまあ、同じレンズはレンズでも眼鏡がないと周りが見えなくて命にかかわるんで、どのみち個人的には眼鏡が最優先ですけどね。視力が悪いって不自由ですねぇ。) 

「無人島に何かひとつ持っていくなら?」 A.俺なら『イシューからはじめよ』だね。

人島に1つだけ持ってくとしたら? 

~ん、俺なら『イシューからはじめよ』だね。 

 

え、なぜかって? 

 

確かに、普通の人ならナイフとか図鑑とか実用的なものを持っていくだろうね。 

もちろん、そういう意見を否定はしないよ。 

でもね、僕ら人類の武器は道具でも力強さでもない。インテリジェンスよ。 

ロジカルシンキングこそが僕たちに無限の可能性をもたらす。

 

 

第一、無人島ってことは先に住んでいる人がいない、つまりここはブルーオーシャン。大きなビジネスチャンスなのさ。それを見過ごしてつつましく生きようだなんて、僕にはできないね。僕は無人島にとってのファーストペンギンでありたいんだ。 

 

始めに僕はビデンスベースドマーケティングを行い、無人島ビジネスの可能性を探す。見つかり次第クラウドファンディングの末に無人島ビジネスのスタートアップを始める(僕にはたくさんのベンチャー企業の知り合いがいる、起業なんてお手の物さ)。幸い、無人島には様々な自然というリソースがあるしね。 

 

1つチェックしなければいけないマターは、自然と文明の共存だ。自然を利用するのでは資本主義のロジックから抜け出せていない。SDGsのためにも、自然と共存するということ。まさにシティに飽きた我々のスローライフを支援する、といったところだね。 

そしてこのビジネスが成功した暁にはに建設したスタバでマックブックを片手にこの本を読みながらこうつぶやくのさ。 

 

アジェンダ、解決しときましたってね。 

 

もし、僕のビジョンにアグリーできたら、ぜひともこのスタートアップ企業にコミットしてほしい。きっと素晴らしいユニコーン企業になれるはずだ。 

さあ、僕と一緒に令和のスティージョブズになろう。 

 

 

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令和のスティージョブズ

 

 

 

「無人島に何かひとつ持っていくなら?」 A.え?ああ、あつ森の話??

 「○○さんがもし無人島にひとつだけ物を持っていくとしたらこの中のどれを選びますかー? ますかー? 

 

 寝袋 

 灯り 

 食料 

 ヒマつぶし 

 

さて、あなたはこの質問が誰からのものか分かるだろうか。 

ちなみに、私はこの質問を見たとき、直感的に今後の島での生活に関係するのではないかと考えた。そして、ましてや島の形や島にあるフルーツの種類までも左右するのではないかという危機感まで抱いていた。ここで、島の形と聞いて流行に敏感なあなたは分かったかもしれない。 

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あつ森に毒されています。


そう、この質問は、話題の「あつ森」で最初に無人島に住み始めるプレーヤーがまめきちから聞かれる質問である。 

www.nintendo.co.jp

ちなみに、この質問は驚くことに島の形もフルーツにも影響しない。本当に「聞いてみただけ」の質問らしい。真面目に考えたのに!というプレーヤーも少なくないだろう。 

 

しかし飽き性の私は、あつ森に割と早い段階で飽きてしまい、島の形もフルーツも今やどうでもいい。でも、このしょうもない質問を割と真剣に考えてみる。 

 

まず、寝袋。確かに安眠のためには欠かせない。これはとりあえず候補に入れておこう。灯りは自分に火を起こすガッツがあると信じてナシ。食料は永久的な量なら話は別だが、自給自足の生活を送るのなら趣旨が異なる気がする。最後にヒマつぶし私は意外とこれを選択する気がする。だって無人島に誰もいなかったら、寂しくて暇すぎて死んでしまう。候補にしていた寝袋も捨てがたいが、自粛期間中は友達と朝まで電話し続け、全然安眠なんてしてなかったし… 

 

このように考えると、私は日々の小さな楽しみを、余暇を有効活用することで作りだしているではないかと気が付いた。 

無人島に何を持っていくか」なんてありきたりで、あつ森において意味のを持たない質問。けれど、日常の小さな幸せを、衣食住という生活の安定に感じるのか、それとも変化に感じるのかなど、その人の価値観が回答に表れやすい。その意味で、どのような要素に自身が日々の幸せを感じているのかを見つめ直す契機となる素敵な質問なのかもしれない。 

 

 

 

 

 

 

 

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……それで結局、無人島には何持っていくの?



「無人島に何かひとつ持っていくなら?」 A.棺桶です。

無人島に何かひとつもっていくなら?」という問い。 

「私は無人島に棺桶を持っていく」と言うと、悲観しきっているように感じるかもしれないが、これは安心と安全のためだ。

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むしろ、未来のための選択。

無人島でこの一生を終えることを仮定する。当然無人島なので死体は弔われることがない。もしを詰まらせて死んだら、その苦悶の顔のまま晒される。まっぴらごめんだ。

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森の動物たちが埋葬してくれるのなら話は別だが。

 

私は直射日光に弱いから、死んでも晒されてくはない。棺桶を持参して、毎晩その中で眠れ。そうすれば野垂れ死ぬリスクを半減させることができる。人間死ぬのは大抵晩だ。棺桶はベッドとしても使えて一石二鳥である。さらには夜にさまよう野獣からも身を守ることができる。合理的だ。 

 

人間たるもの死を意識してこそ、光ある人生を歩むことができる。

生命は終わりあるのだからこそ美しい。死を考えることは一見生きることの対極のように思えるが、生死は切り離せない生物の宿命である。死はタブーではない。マザー・テレサの「死を待つ人の家」を知ったとき、初め私は「過酷なことをするなあ」と思った。まだ生きている人に死の訪れを待たせるなど、言語道断だろう。だが、身寄りもなく金銭的余裕もない人々にとって、「死を迎えることのできる環境」の保証は大きな安堵につながる。要するに、私が無人島に持っていく棺桶は「死を待つ人の家」なのだ。

 

よく、無人島に行くなら「やる気を持っていく」とか「勇気を持っていく」などと言う優秀な就活生がいるけれど、元々そんなものとは無縁の私には到底無理な話だ。

愛?勇気?優しさ?

そんなものを無人島に持っていくのは形而上世界の住人だけだ。

愛とか勇気だとか、そういうアンパンマンみたいな装備品は持ってないよーと

いう方、棺桶は手ごろでおすすめだ。金さえあれば買える。

うだ、無人島に行こう。最後に有り金叩いて、棺桶買おう。 

 

棺桶着ぐるみ

棺桶着ぐるみ

  • 発売日: 2014/08/15
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

 

 

「無人島に何かひとつ持っていくなら?」 A.鼻スプレーです。

私は慢性の鼻炎持ちである。蓄膿の詰まり、もしくは鼻水が止まらないことに苦しみながら1年は終わっていく。

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鼻水との戦いは仁義なき戦い

そのため私には、点鼻薬が手放せない。よって、無人島に持っていくものは、問答無用で点鼻薬、通称鼻スプレーである。 

鼻スプレーと私の付き合いはかれこれ10年になる。その間に色々な鼻スプレーを試したが、一番相性が良かったのは、「スットノーズαプラス点鼻薬」(奥田製薬株式会社)である。

www.e-welcia.com

この商品の魅力は何と言っても、ワンプッシュで鼻に適量の薬を発射し、かつその後鼻から垂れることが少ないことだろう。無香料も強みの1つだ。地元のウエルシアでは二箱セットで販売されているのも嬉しい。私は大体3時間おきに鼻スプレーを利用し、鼻の治安を守っている。 

 

数秒間、鼻の穴にスプレーを突っ込むなんて恥ずかしい……と最初は思うかもしれないが、慣れれば、1秒でこなすことができる。Zoomでの授業や会議中も、一瞬フレームアウトするだけで済むので、怪しまれることも少ないだろう。 

 

もし無人島に流れ着いて、鼻スプレーを携帯してなかったらどうしよう……と考えると、本当に恐ろしい通常、私と鼻スプレーはほぼ一心同体なので、出先で鼻スプレーを忘れるなんてことはあり得ない。だが、ごくたまに、鼻が苦しくなってカバンの中を探してみると誤って空っぽの鼻スプレーを持ってきていることがある。その時、死までのカウントダウンが始まる。鼻詰まりの場合、鼻呼吸ができなくなり口をパクパクさせながらさまようことになる。また、鼻水の場合、手持ちのティッシュは底をつき、マスクの下で鼻水を垂らしながら街を歩くことになる。

    地獄のイラスト(背景素材)

 

ちなみに、長年の研究の結果(自社比)、鼻スプレーに代用できるものはないということが明らかとなっている。一度、同じ液体という理由で大量の水を鼻に注入する「鼻うがい」を試したことがあるが、効果はなく、ただプールの水が鼻に入った感覚とほぼ同じだったのでそれからやることをためらっている。 

 

日常生活の中で「鼻呼吸ができる」というのは、実は本当にありがたいことなのだ。

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鼻呼吸ができる。ああ、今日も幸せだ。

無人島で食べ物は、選ばなければ調達できるかもしれない、火も縄文時代を参考にすれば生み出せるかもしれない、トイレはその辺ですれば良い。でも、私の鼻は鼻スプレーでしか守れない。今もノートパソコンの横には市販の「スットノーズαプラス点鼻薬と、医者に処方された鼻スプレーがいる。点鼻薬を使いまくると逆に鼻悪いらしい、依存症になるらしい、のような話も聞いたことあるが、今更どうしようもない。

もう私は鼻スプレーと一生を添い遂げ、心中するしかないのだ。 

王道青春コメディーのはずなのに ~『湯神くんには友達がいない』で抱く違和感とは~

 『湯神くんには友達がいない』(佐倉準・小学館)は、少年サンデーにて2013年から2019年まで連載された人気作品だ。

 

 

もともとは1巻完結の予定だったが、読者の反響により16巻まで続いたほど人気ため、ご存じの人もいるだろう。 

 

父親の転勤により転校を繰り返してきた女子高生の綿貫ちひろ(17)は、新たに転入した先で、隣の席の湯神くんに出会う。理屈っぽい性格友達はおらず、独り言も激しお昼も一人、野球部のエースではあるが人望は薄い……。そんな湯神くんだが、なぜだか毎日とても楽しそう。「友達は自分には必要ない」と断言するほどお一人様を満喫している。

 

本作品は、そんな少し変わっている湯神くんとちひろの交流を文化祭、修学旅行、甲子園などのイベントを通して描いていく……はずなのだが、何か違う。

 本作品は、青春ラブコメにはかかせない要素(学校生活、イベント、二人でおでかけ、部活の試合、お家訪問)を全て満たしているのにも関わらず、この二人がメイクラブする方向にはなかなか傾かない。むしろ、話はどんどん関係ない方向に転がっていき、そのたびに湯神くんの奇妙な言動がうきぼりになっていく構造となっていくのだ。 

 

 

例えばクリスマスでのエピソード。 

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胸キュンを期待してしまいます

断れないお人よしな性格から、1日で3つのクリスマスパーティに参加することとなってしまったちひろに、湯神は、全てのパーティを同じカラオケボックスで行い、部屋移動をすることを提案する。そして当日、呼ばれてもいないパーティに湯神くんは現れ、ちひろにプレゼントを渡す。

 

ここまで聞くと「あれ? 湯神くんってちひろちゃんのこと、好きなんじゃない?」と思うが、プレゼントの中身はちひろの家で飼っている亀の冬眠グッズ。しかも湯神くんにとってこのプレゼントは「借り(前の話でちひろが湯神くんの大好きな落語のチケットをあげていた)を返す」ということ以外のなにものでもなく、湯神くんはその後パーティに参加することもなく帰ってしまう。

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湯神くん、帰るんかい!!!

また、湯神くんの登場によりちひろのクリスマスパーティ乱立作戦も皆にバレてしまうという有様だ。ちひろにとって良いことはあまり起きていない。 

 

 

湯神くんの行動は「誰かのため」ではなく常に「自分のため」に行われている。自分が幸せに生きることを最優先に行動しているのだ。しかしここで言っておかなければならないのは、「自分のために生きる=自分勝手」ではないということ。湯神くんにとっての「自分のため」は「自分の利益のため」では決してない。借りは返したり、困っている人はほっとけなかったりする、湯神くんなりの不器用な優しさが、彼魅力でもある。 

 

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そんな君が、好き……

 

本作品は湯神くんの奇妙な行動にスポットを当てているが、周りのキャラクターの性格も綿密に描かれており、きっと共感できる部分も見つかるだろう。そして、恋愛要素が少ないこそ、ほんの少しのラブコメ要素が入った時の盛り上がりはすごい。2次創作が乱立するのも頷ける。じれったいけどときめいてしまう。気づいたら登場人物の親目線で応援している……。

 

 

サンデーうぇぶり でも結構な分量読むことが出来るので是非お勧めしたい。最初は変人に見える湯神くんだが、読み進めると「案外良い奴じゃん」と思えるかもしれない。

実際周りにいたら絶対嫌だろうけれど。 

www.sunday-webry.com

 

  

転生したら八ツ橋だった件

私は幼い頃から、無類の八ツ橋好きである。

特に生八ツ橋。焼いてある八ツ橋も好きだが、生八ツ橋のニッキには敵わない。 

 

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ニッキの芳醇な香りがたまらない。

まず、口に近づけた途端に広がる華やかなニッキの香り。

シナモン甘さとはまた違う、それがニッキ。モチモチと柔らかい。その中にあんこが鎮座している。ニッキの扉を潜り、柔らかな絨毯を抜け、あんこに邂逅する。なんと贅沢な時間なのだろう。 

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ニッキの扉をぬけ、柔らかな絨毯の上を駆け抜けていく~♪

さあ、「あんこ」と邂逅だ!!

 

私の八ツ橋好きは幼稚園時代からであった。

祖母の家の仏壇に供られていた八ツ橋を、わずか三歳にして盗み食いをするという大胆さ。しかも仏壇に向かって、あたかも手を合わせているかのように八ツ橋を食べた。悪ガキである。先祖も彼岸で呆れているに違いない。

 

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ご先祖様、悪い子でごめんなさい。

 

京都の数々の老舗八ツ橋店の中でも、「聖護院」の生八ツ橋が好きだ。群を抜いている。豊潤なニッキに惹かれて、何度も盗み食いをした。井筒や西尾も有名だが、聖護院は正統派だ。邪道にはいかない。それでいて、東京近郊ではあまり買えない。心ではいつも聖護院の生八ツ橋を想っている。いわば、遠距離恋愛 

 

近年、「プリン味」やら「マンゴー味」やら、得体の知れない八ツ橋が多く発売されている。私に言わせれば、「ニッキへの冒涜」である。ニッキの香りこそ、八橋の醍醐味。プリン味が食べたいのなら、「プリンを食べろ」と言いたい八ツ橋に甘えるな。

プリン味の八ツ橋よ、自分を安売りするな。客は八ツ橋にプリンを重ねているに過ぎない。傷つくことになるのは君だ。八ツ橋なんだよ。ニッキの誇りを忘れるな。 

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ニッキの誇りを……忘れるな……

ニッキは奇跡だ。あれがなければ八ツ橋はここまでブレイクしなかった。ニッキの好き嫌いは分かれるが、ニッキが苦手な人は「八ツ橋」を語ることを許されない。

いや、私が許さない。