「無人島に何かひとつ持っていくなら?」 A.鼻スプレーです。
私は慢性の鼻炎持ちである。蓄膿、鼻の詰まり、もしくは鼻水が止まらないことに苦しみながら1年は終わっていく。
そのため私には、点鼻薬が手放せない。よって、無人島に持っていくものは、問答無用で点鼻薬、通称鼻スプレーである。
鼻スプレーと私の付き合いはかれこれ10年になる。その間に色々な鼻スプレーを試したが、一番相性が良かったのは、「スットノーズαプラス点鼻薬」(奥田製薬株式会社)である。
この商品の魅力は何と言っても、ワンプッシュで鼻に適量の薬を発射し、かつその後鼻から垂れることが少ないことだろう。無香料も強みの1つだ。地元のウエルシアでは二箱セットで販売されているのも嬉しい。私は大体3時間おきに鼻スプレーを利用し、鼻の治安を守っている。
数秒間、鼻の穴にスプレーを突っ込むなんて恥ずかしい……と最初は思うかもしれないが、慣れれば、1秒でこなすことができる。Zoomでの授業や会議中も、一瞬フレームアウトするだけで済むので、怪しまれることも少ないだろう。
もし無人島に流れ着いて、鼻スプレーを携帯してなかったらどうしよう……と考えると、本当に恐ろしい。通常、私と鼻スプレーはほぼ一心同体なので、出先で鼻スプレーを忘れるなんてことはあり得ない。だが、ごくたまに、鼻が苦しくなってカバンの中を探してみると誤って空っぽの鼻スプレーを持ってきていることがある。その時、死までのカウントダウンが始まる。鼻詰まりの場合、鼻呼吸ができなくなり口をパクパクさせながらさまようことになる。また、鼻水の場合、手持ちのティッシュは底をつき、マスクの下で鼻水を垂らしながら街を歩くことになる。
ちなみに、長年の研究の結果(自社比)、鼻スプレーに代用できるものはないということが明らかとなっている。一度、同じ液体という理由で大量の水を鼻に注入する「鼻うがい」を試したことがあるが、効果はなく、ただプールの水が鼻に入った感覚とほぼ同じだったのでそれからやることをためらっている。
日常生活の中で「鼻呼吸ができる」というのは、実は本当にありがたいことなのだ。
無人島で食べ物は、選ばなければ調達できるかもしれない、火も縄文時代を参考にすれば生み出せるかもしれない、トイレはその辺ですれば良い。でも、私の鼻は鼻スプレーでしか守れない。今もノートパソコンの横には市販の「スットノーズαプラス点鼻薬」と、医者に処方された鼻スプレーがいる。点鼻薬を使いまくると逆に鼻が悪いらしい、依存症になるらしい、のような話も聞いたことあるが、今更どうしようもない。
もう私は鼻スプレーと一生を添い遂げ、心中するしかないのだ。
王道青春コメディーのはずなのに ~『湯神くんには友達がいない』で抱く違和感とは~
『湯神くんには友達がいない』(佐倉準・小学館)は、少年サンデーにて2013年から2019年まで連載された人気作品だ。
もともとは1巻完結の予定だったが、読者の反響により16巻まで続いたほど人気のため、ご存じの人もいるだろう。
父親の転勤により転校を繰り返してきた女子高生の綿貫ちひろ(17)は、新たに転入した先で、隣の席の湯神くんに出会う。理屈っぽい性格で友達はおらず、独り言も激しく、お昼も一人、野球部のエースではあるが人望は薄い……。そんな湯神くんだが、なぜだか毎日とても楽しそう。「友達は自分には必要ない」と断言するほどお一人様を満喫している。
本作品は、そんな少し変わっている湯神くんとちひろの交流を文化祭、修学旅行、甲子園などのイベントを通して描いていく……はずなのだが、何か違う。
本作品は、青春ラブコメにはかかせない要素(学校生活、イベント、二人でおでかけ、部活の試合、お家訪問)を全て満たしているのにも関わらず、この二人がメイクラブする方向にはなかなか傾かない。むしろ、話はどんどん関係ない方向に転がっていき、そのたびに湯神くんの奇妙な言動がうきぼりになっていく構造となっていくのだ。
例えばクリスマスでのエピソード。
断れないお人よしな性格から、1日で3つのクリスマスパーティに参加することとなってしまったちひろに、湯神は、全てのパーティを同じカラオケボックスで行い、部屋移動をすることを提案する。そして当日、呼ばれてもいないパーティに湯神くんは現れ、ちひろにプレゼントを渡す。
ここまで聞くと「あれ? 湯神くんってちひろちゃんのこと、好きなんじゃない?」と思うが、プレゼントの中身はちひろの家で飼っている亀の冬眠グッズ。しかも湯神くんにとってこのプレゼントは「借り(前の話でちひろが湯神くんの大好きな落語のチケットをあげていた)を返す」ということ以外のなにものでもなく、湯神くんはその後パーティに参加することもなく帰ってしまう。
また、湯神くんの登場によりちひろのクリスマスパーティ乱立作戦も皆にバレてしまうという有様だ。ちひろにとって良いことはあまり起きていない。
湯神くんの行動は「誰かのため」ではなく常に「自分のため」に行われている。自分が幸せに生きることを最優先に行動しているのだ。しかしここで言っておかなければならないのは、「自分のために生きる=自分勝手」ではないということ。湯神くんにとっての「自分のため」は「自分の利益のため」では決してない。借りは返したり、困っている人はほっとけなかったりする、湯神くんなりの不器用な優しさが、彼の魅力でもある。
本作品は湯神くんの奇妙な行動にスポットを当てているが、周りのキャラクターの性格も綿密に描かれており、きっと共感できる部分も見つかるだろう。そして、恋愛要素が少ないこそ、ほんの少しのラブコメ要素が入った時の盛り上がりはすごい。2次創作が乱立するのも頷ける。じれったいけどときめいてしまう。気づいたら登場人物の親目線で応援している……。
サンデーうぇぶり でも結構な分量読むことが出来るので是非お勧めしたい。最初は変人に見える湯神くんだが、読み進めると「案外良い奴じゃん」と思えるかもしれない。
実際周りにいたら絶対嫌だろうけれど。
転生したら八ツ橋だった件
私は幼い頃から、無類の八ツ橋好きである。
特に生八ツ橋。焼いてある八ツ橋も好きだが、生八ツ橋のニッキには敵わない。
まず、口に近づけた途端に広がる華やかなニッキの香り。
シナモン甘さとはまた違う、それがニッキ。モチモチと柔らかい。その中にあんこが鎮座している。ニッキの扉を潜り、柔らかな絨毯を抜け、あんこに邂逅する。なんと贅沢な時間なのだろう。
私の八ツ橋好きは幼稚園時代からであった。
祖母の家の仏壇に供られていた生八ツ橋を、わずか三歳にして盗み食いをするという大胆さ。しかも仏壇に向かって、あたかも手を合わせているかのように八ツ橋を食べた。悪ガキである。先祖も彼岸で呆れているに違いない。
京都の数々の老舗八ツ橋店の中でも、「聖護院」の生八ツ橋が好きだ。群を抜いている。豊潤なニッキに惹かれて、何度も盗み食いをした。井筒や西尾も有名だが、聖護院は正統派だ。邪道にはいかない。それでいて、東京近郊ではあまり買えない。心ではいつも聖護院の生八ツ橋を想っている。いわば、遠距離恋愛中。
近年、「プリン味」やら「マンゴー味」やら、得体の知れない八ツ橋が多く発売されている。私に言わせれば、「ニッキへの冒涜」である。ニッキの香りこそ、八ツ橋の醍醐味。プリン味が食べたいのなら、「プリンを食べろ」と言いたい。八ツ橋に甘えるな。
プリン味の八ツ橋よ、自分を安売りするな。客は八ツ橋にプリンを重ねているに過ぎない。傷つくことになるのは君だ。八ツ橋なんだよ。ニッキの誇りを忘れるな。
ニッキは奇跡だ。あれがなければ八ツ橋はここまでブレイクしなかった。ニッキの好き嫌いは分かれるが、ニッキが苦手な人は「八ツ橋」を語ることを許されない。
いや、私が許さない。
公開を自粛したい思い出No.3 懺悔文
私は2020年某日某時刻より行われたゼミの会合にて、ミュート設定をし忘れたことにより、ソーナンスの声真似をしてしまったことをここに懺悔いたします。
なぜ自分がこのような狼藉を働いたのかについて釈明いたします。まずオンラインにて行われるにも関わらず半数以上のゼミ生が予定時刻に間に合わず、あまつさえ担当教授までもが遅刻する状況でした。そのため予定時刻を迎えてもゼミが始まらず、微妙な時間が進んでおりました。
することが何もなく、かといっていつ教授が入室するかわからない以上席を離れるわけにもいかず、漠然とした退屈を抱えていた僕の目に突如あるものが映り込みました。
それはソーナンスのぬいぐるみです。
本棚の上に静かに佇むソーナンスが、何か意味ありげな表情をこちらに向けていたのです。
(そういえば昔はよくぬいぐるみのごっこ遊びをしたな……)
思わず過去の自分を回想してしまいました。
保育園に通っていた頃の私は周りの人と上手に関わることができず、いつもぬいぐるみ遊びをして自分の世界にこもっていました。彼らとは時にじゃれあい、時に真剣にバトルをし、彼らはまさに唯一の友達でした。
しかし小学校に上がるにつれ、他者とのかかわり方を段々と身につけていった私はごっこ遊びを卒業します。それは友達ができたからだけではなく、「まだぬいぐるみでごっこ遊びをしてる痛いやつ」と思われたくなかったからです。周りの評価に怯えていた私はいつしかぬいぐるみに見向きもしなくなりました。
それでも、雨の日も雪の日も、頭に埃が積もっても何一つ嫌な顔をせずに私を迎えてくれたのは、誰でもないソーナンスです。
ごめん、ソーナンス。私、ずっとバカだった。
もう一度ソーナンスに命を吹き込んであげたい。
「…………ソーナンス……」
思わず声がこぼれました。
そしてそれと同時に、大幅に上下したマイクのボリュームの画面を見た時に私は自分の目を疑いました。
(えっ、ミュート切り忘れてない……???????????)
私は急いでチャットの画面を開き、そこに「ごめんなさい」と一言打ち込みます。しかし時すでに遅し。ゼミ生の顔は一切動きません。
笑われもされず、怒られもされず。ただ時間だけがゆっくりと過ぎていきます。いくら悔やんでも悔やみきれません。その後ゼミが終わっても私の顔の火照りは解けることはありませんでした。
ところで、ゼミの退会方法ってどこにいけばわかりますか?
公開を自粛したい思い出No.2 お年頃
小学校4年生のころ、私は家でうさぎを飼っていた。抱っこを嫌がるうさぎも多い中で、その子は快く抱っこをさせてくれるとても人懐こい子だった。とにかく可愛くて可愛くて、三度の飯よりうさぎを愛でる、超親バカ飼い主だった私。
特に小学校四年生なんていうのは、ちょっと分別がつくようになってきて他者を意識し始める面倒くさいお年頃だ。犬や猫ではなく、うさぎを飼っているという超特殊ステータスを手に入れた当時の私は友人に、うさぎの可愛さと人懐い子さを大々的に自慢していた。
今考えるとそんなやつとは絶対に友達になりたくない。
ある晩いつものようにうさぎと遊んでいるとき、私は天才的なアイデアを思いついてしまったのだ。
その名も、ちょんまげ作戦。
うさぎを抱っこして、自分の頭の上にのせたら、ちょんまげのようになるのではないか?一体化してお侍さんごっこでもやったら絶対楽しいはず。
おとなしい子だし、きっとできる。
早速うさぎを抱っこした。ここまでは順調だった。
だが、いざ自分の頭の上までうさぎを持ち上げたとき、高くて怖かったのか突然うさぎが暴れだしてしまったのだ。
もう大惨事。うさぎがけがをしなかったのが不幸中の幸い。うさぎのつめにひっかかれてしまった私の額には、おでこを横断して日本列島のような形のみみずばれのあとがついてしまった。
当時おでこ丸出しヘアスタイルの私にはどうあがいてもその傷を隠して翌日学校に行くことは不可能だった。とにかく少しでもましな状態にしていかなければ。ありとあらゆる手段を講じた。しかし翌日跡はしっかり残ってしまっていた。
「手は尽くしたのですが……」って言うときのお医者さんの気持ちってこんな感じなのかしら。
ばんそうこうで収まるサイズじゃなかったので仕方なく傷はそのままで登校。
案の定周りからは「その傷どうしたの?!」と片っ端から興味を持たれる。
さて、なんて答えようか。正直に「うさぎにひっかかれて。」といおうか。しかし私はすでに我が家のうさぎのいい子ちゃんさを声高に言ってしまった。その手前正直に話すことは到底できない。
考えに考え抜いた結果私はこう言った。
「弟と喧嘩しちゃって」
こうして私の弟にはしばらくの間、荒々しいイメージがつくことになった。
ごめんな、弟よ。
公開を自粛したい思い出No.1 純紺もざいく
電子機器に詳しくて損することはない、はずだった。
特に近頃は、Zoomの不具合を教員にこっそり教えて解決するなど、重宝してもらえる。
ただし知識というのは、中途半端だと事故を起こす。回収できない種を蒔いてはならない。
田舎ながらモデル校に選出されていた我が母校は、小学4年生からコンピュータの授業が始まる。一人一台ノートパソコンが配られ、普段親に禁止されている子どもたちなどはキーボードを無作為に叩くだけでテンション爆上がりだ。
音がかっこいいよね、パパが家でやってるやつだよ、憧れのさ。
そんな中、慣れた手つきでネットワークに接続し、担任の指示などとうに追い越してイキり倒してるヤツがいる。
勝手に隣の席の子どもにフラッシュゲームを勧め、スーパー正男や太鼓のオワタツジンの出来栄えを我が物顔で披露。
お前が作ったんじゃねぇよ。
あと担任の指示聞いてないけど大丈夫か、今の間に授業進んでるぞ。
そんないけ好かないクソガキは、周りの子どもの関心を集めたくて必死だった。
確かに指示をスピーディにこなせる優越感はあるが、なんかもっと目立てないかな。半端なPCスキルを持て余したクソガキは、脳みそを絞り続けていた。
数日後。担任が一台のノートパソコンを携えて朝の会に現れた。今日はコンピュータの授業は無いはずだ。ざわつく児童。クソガキもなんとなく担任の表情が険しいのを察することはできた。
「1組の後にパソコンを使った2組からクレームが来ました」
峨峨たる面持ちで口が開かれる。声色には圧倒的な呆れが含まれていた。
「これを見なさい」
折りたたまれたノートパソコンを開き、児童の机の間をゆっくりと、その画面を一人一人に見せながら、ゆっくりと歩き出す。窓際のクソガキは、廊下側の児童をぼんやり眺めていた。ある者は沈黙し、ある者はうつむいて肩を震わせていた。一体何が起きてるっていうんだ?
「あなたしかいないわよね、こんなことするの」
始業が遅れるほどの十分な時間をかけて近づいてきた担任は、クソガキの机の前で歩みを止め、デスクトップ画面を指さした。どうやら壁紙が初期Windowsの深く薄暗い紺ではないようだ。
いちめんのオードリー若林。
画像サイズを変えるスキルを持っていなかったせいで、小さな若林が画面いっぱいに20名程度敷き詰められている。
いちめんのオードリー若林。顔面蒼白山村暮鳥。
公開どころか、思い起こすだけで気分がWindowsカラーになる、クソガキだったころの自分。
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ミラクル元年って何よ
みなさんは『地平を駆ける獅子を見た』をご存知だろうか。
埼玉西武ライオンズの球団歌として1979年に生まれて以来、多くのファンに親しまれてきた。みなさんも義務教育の過程で一度は習ったことがあるだろう。
松崎しげるの力強い歌声もさることながら、注目すべきはその歌詞だ。
「陽は昇り 風熱く 空燃えて 地平を駆ける獅子を見た」
ライオンズの球団マスコットは手塚治虫の『ジャングル大帝』に登場するレオだ。レオがアフリカの大自然を描写しながら、過酷な環境の中でも力強く生きるレオを表現している。
「激しく 雄々しく 美しく たて髪 虹の尾を引いて」
レオのたくましさを形容詞を並列して表現し、最後にたて髪がなびいていることを表すことでレオが駆け抜けている情景を想起させる。
「アアア ライオンズ ライオンズ ライオンズ ミラクル元年 奇跡を呼んで」
は????????
いやいや待て、ミラクル元年ってなに? そんな言葉聞いたことないぞ。
さすがにこんな意味不明な言葉、何か意図があって使ったに違いない。さっそくネットで検索をかけると、既に調べている人がいた。その人によると次のようなことだそうだ。
「1979年のライオンズファンブックを開くと「地平~」について作詞の阿久悠さんはこうコメントを寄せていました。
『最初に“ミラクル元年”という言葉が浮かんだ。大人も子供も、あまり夢がなさすぎますからね。現代は。でも心の底では、だれもが“奇跡”を願っているはずだと思う。楽しく、スカッとした“奇跡”をね。西武ライオンズがそんな“奇跡願望”をきっとかなえてくれるに違いない。そう思いながら一気に詩を作って行きました』」
(https://lineblog.me/muroi/archives/8386011.html 様より引用)
だからミラクル元年ってなんだよ!!!!!!!
絶対語感だけで作詞しただろ!!!!!!!
そう思って生きていた2019年。平成の時代は終わりを告げ、新しい元号には「令和」が選ばれた。
一方ライオンズはというと、エースの菊池や打線の要だった浅村がチームから離脱し、投手の防御率はリーグ最下位と成績は低迷。一時期チームは5位に沈むなど、ほとんどのファンは優勝を諦めていた……はずだった。
いざ8月の中旬を迎えると、中村の好調により打線につながりが生まれ、とたんに勝利を重ね始める。そして9月には2位のソフトバンクを下し、2年連続の1位に返り咲いたのだった。投手成績がリーグ最下位での優勝は(2018年のライオンズを除くと)01年の近鉄までさかのぼることになる。
野村克也の名言を引くまでもなく「野球は投手(が重要)」である。それなのに優勝してしまうライオンズ。
あっ、ミラクル元年ってそういうことだったのね……。