公開を自粛したい思い出No.3 懺悔文
私は2020年某日某時刻より行われたゼミの会合にて、ミュート設定をし忘れたことにより、ソーナンスの声真似をしてしまったことをここに懺悔いたします。
なぜ自分がこのような狼藉を働いたのかについて釈明いたします。まずオンラインにて行われるにも関わらず半数以上のゼミ生が予定時刻に間に合わず、あまつさえ担当教授までもが遅刻する状況でした。そのため予定時刻を迎えてもゼミが始まらず、微妙な時間が進んでおりました。
することが何もなく、かといっていつ教授が入室するかわからない以上席を離れるわけにもいかず、漠然とした退屈を抱えていた僕の目に突如あるものが映り込みました。
それはソーナンスのぬいぐるみです。
本棚の上に静かに佇むソーナンスが、何か意味ありげな表情をこちらに向けていたのです。
(そういえば昔はよくぬいぐるみのごっこ遊びをしたな……)
思わず過去の自分を回想してしまいました。
保育園に通っていた頃の私は周りの人と上手に関わることができず、いつもぬいぐるみ遊びをして自分の世界にこもっていました。彼らとは時にじゃれあい、時に真剣にバトルをし、彼らはまさに唯一の友達でした。
しかし小学校に上がるにつれ、他者とのかかわり方を段々と身につけていった私はごっこ遊びを卒業します。それは友達ができたからだけではなく、「まだぬいぐるみでごっこ遊びをしてる痛いやつ」と思われたくなかったからです。周りの評価に怯えていた私はいつしかぬいぐるみに見向きもしなくなりました。
それでも、雨の日も雪の日も、頭に埃が積もっても何一つ嫌な顔をせずに私を迎えてくれたのは、誰でもないソーナンスです。
ごめん、ソーナンス。私、ずっとバカだった。
もう一度ソーナンスに命を吹き込んであげたい。
「…………ソーナンス……」
思わず声がこぼれました。
そしてそれと同時に、大幅に上下したマイクのボリュームの画面を見た時に私は自分の目を疑いました。
(えっ、ミュート切り忘れてない……???????????)
私は急いでチャットの画面を開き、そこに「ごめんなさい」と一言打ち込みます。しかし時すでに遅し。ゼミ生の顔は一切動きません。
笑われもされず、怒られもされず。ただ時間だけがゆっくりと過ぎていきます。いくら悔やんでも悔やみきれません。その後ゼミが終わっても私の顔の火照りは解けることはありませんでした。
ところで、ゼミの退会方法ってどこにいけばわかりますか?
公開を自粛したい思い出No.2 お年頃
小学校4年生のころ、私は家でうさぎを飼っていた。抱っこを嫌がるうさぎも多い中で、その子は快く抱っこをさせてくれるとても人懐こい子だった。とにかく可愛くて可愛くて、三度の飯よりうさぎを愛でる、超親バカ飼い主だった私。
特に小学校四年生なんていうのは、ちょっと分別がつくようになってきて他者を意識し始める面倒くさいお年頃だ。犬や猫ではなく、うさぎを飼っているという超特殊ステータスを手に入れた当時の私は友人に、うさぎの可愛さと人懐い子さを大々的に自慢していた。
今考えるとそんなやつとは絶対に友達になりたくない。
ある晩いつものようにうさぎと遊んでいるとき、私は天才的なアイデアを思いついてしまったのだ。
その名も、ちょんまげ作戦。
うさぎを抱っこして、自分の頭の上にのせたら、ちょんまげのようになるのではないか?一体化してお侍さんごっこでもやったら絶対楽しいはず。
おとなしい子だし、きっとできる。
早速うさぎを抱っこした。ここまでは順調だった。
だが、いざ自分の頭の上までうさぎを持ち上げたとき、高くて怖かったのか突然うさぎが暴れだしてしまったのだ。
もう大惨事。うさぎがけがをしなかったのが不幸中の幸い。うさぎのつめにひっかかれてしまった私の額には、おでこを横断して日本列島のような形のみみずばれのあとがついてしまった。
当時おでこ丸出しヘアスタイルの私にはどうあがいてもその傷を隠して翌日学校に行くことは不可能だった。とにかく少しでもましな状態にしていかなければ。ありとあらゆる手段を講じた。しかし翌日跡はしっかり残ってしまっていた。
「手は尽くしたのですが……」って言うときのお医者さんの気持ちってこんな感じなのかしら。
ばんそうこうで収まるサイズじゃなかったので仕方なく傷はそのままで登校。
案の定周りからは「その傷どうしたの?!」と片っ端から興味を持たれる。
さて、なんて答えようか。正直に「うさぎにひっかかれて。」といおうか。しかし私はすでに我が家のうさぎのいい子ちゃんさを声高に言ってしまった。その手前正直に話すことは到底できない。
考えに考え抜いた結果私はこう言った。
「弟と喧嘩しちゃって」
こうして私の弟にはしばらくの間、荒々しいイメージがつくことになった。
ごめんな、弟よ。
公開を自粛したい思い出No.1 純紺もざいく
電子機器に詳しくて損することはない、はずだった。
特に近頃は、Zoomの不具合を教員にこっそり教えて解決するなど、重宝してもらえる。
ただし知識というのは、中途半端だと事故を起こす。回収できない種を蒔いてはならない。
田舎ながらモデル校に選出されていた我が母校は、小学4年生からコンピュータの授業が始まる。一人一台ノートパソコンが配られ、普段親に禁止されている子どもたちなどはキーボードを無作為に叩くだけでテンション爆上がりだ。
音がかっこいいよね、パパが家でやってるやつだよ、憧れのさ。
そんな中、慣れた手つきでネットワークに接続し、担任の指示などとうに追い越してイキり倒してるヤツがいる。
勝手に隣の席の子どもにフラッシュゲームを勧め、スーパー正男や太鼓のオワタツジンの出来栄えを我が物顔で披露。
お前が作ったんじゃねぇよ。
あと担任の指示聞いてないけど大丈夫か、今の間に授業進んでるぞ。
そんないけ好かないクソガキは、周りの子どもの関心を集めたくて必死だった。
確かに指示をスピーディにこなせる優越感はあるが、なんかもっと目立てないかな。半端なPCスキルを持て余したクソガキは、脳みそを絞り続けていた。
数日後。担任が一台のノートパソコンを携えて朝の会に現れた。今日はコンピュータの授業は無いはずだ。ざわつく児童。クソガキもなんとなく担任の表情が険しいのを察することはできた。
「1組の後にパソコンを使った2組からクレームが来ました」
峨峨たる面持ちで口が開かれる。声色には圧倒的な呆れが含まれていた。
「これを見なさい」
折りたたまれたノートパソコンを開き、児童の机の間をゆっくりと、その画面を一人一人に見せながら、ゆっくりと歩き出す。窓際のクソガキは、廊下側の児童をぼんやり眺めていた。ある者は沈黙し、ある者はうつむいて肩を震わせていた。一体何が起きてるっていうんだ?
「あなたしかいないわよね、こんなことするの」
始業が遅れるほどの十分な時間をかけて近づいてきた担任は、クソガキの机の前で歩みを止め、デスクトップ画面を指さした。どうやら壁紙が初期Windowsの深く薄暗い紺ではないようだ。
いちめんのオードリー若林。
画像サイズを変えるスキルを持っていなかったせいで、小さな若林が画面いっぱいに20名程度敷き詰められている。
いちめんのオードリー若林。顔面蒼白山村暮鳥。
公開どころか、思い起こすだけで気分がWindowsカラーになる、クソガキだったころの自分。
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ミラクル元年って何よ
みなさんは『地平を駆ける獅子を見た』をご存知だろうか。
埼玉西武ライオンズの球団歌として1979年に生まれて以来、多くのファンに親しまれてきた。みなさんも義務教育の過程で一度は習ったことがあるだろう。
松崎しげるの力強い歌声もさることながら、注目すべきはその歌詞だ。
「陽は昇り 風熱く 空燃えて 地平を駆ける獅子を見た」
ライオンズの球団マスコットは手塚治虫の『ジャングル大帝』に登場するレオだ。レオがアフリカの大自然を描写しながら、過酷な環境の中でも力強く生きるレオを表現している。
「激しく 雄々しく 美しく たて髪 虹の尾を引いて」
レオのたくましさを形容詞を並列して表現し、最後にたて髪がなびいていることを表すことでレオが駆け抜けている情景を想起させる。
「アアア ライオンズ ライオンズ ライオンズ ミラクル元年 奇跡を呼んで」
は????????
いやいや待て、ミラクル元年ってなに? そんな言葉聞いたことないぞ。
さすがにこんな意味不明な言葉、何か意図があって使ったに違いない。さっそくネットで検索をかけると、既に調べている人がいた。その人によると次のようなことだそうだ。
「1979年のライオンズファンブックを開くと「地平~」について作詞の阿久悠さんはこうコメントを寄せていました。
『最初に“ミラクル元年”という言葉が浮かんだ。大人も子供も、あまり夢がなさすぎますからね。現代は。でも心の底では、だれもが“奇跡”を願っているはずだと思う。楽しく、スカッとした“奇跡”をね。西武ライオンズがそんな“奇跡願望”をきっとかなえてくれるに違いない。そう思いながら一気に詩を作って行きました』」
(https://lineblog.me/muroi/archives/8386011.html 様より引用)
だからミラクル元年ってなんだよ!!!!!!!
絶対語感だけで作詞しただろ!!!!!!!
そう思って生きていた2019年。平成の時代は終わりを告げ、新しい元号には「令和」が選ばれた。
一方ライオンズはというと、エースの菊池や打線の要だった浅村がチームから離脱し、投手の防御率はリーグ最下位と成績は低迷。一時期チームは5位に沈むなど、ほとんどのファンは優勝を諦めていた……はずだった。
いざ8月の中旬を迎えると、中村の好調により打線につながりが生まれ、とたんに勝利を重ね始める。そして9月には2位のソフトバンクを下し、2年連続の1位に返り咲いたのだった。投手成績がリーグ最下位での優勝は(2018年のライオンズを除くと)01年の近鉄までさかのぼることになる。
野村克也の名言を引くまでもなく「野球は投手(が重要)」である。それなのに優勝してしまうライオンズ。
あっ、ミラクル元年ってそういうことだったのね……。
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小さな文字が添えられていた
宇宙飛行士の話は間違いなくおもしろい。なぜなら、漫画の『宇宙兄弟』がおもしろいから。「『宇宙兄弟』がおもしろい=宇宙飛行士の話はおもしろい」という絶対的な公式が私の中には存在する。
先日レンタルビデオ店で、見覚えのあるDVDジャケットを見かけた。それは、宇宙服を身にまとった宇宙飛行士の顔面が大きくドンと写しだされたものだ。タイトルには「オデッセイ」と書かれている。
あの有名な宇宙飛行士映画‼︎ 胸熱になった私は、すぐさま「オデッセイ」を手に取り家で鑑賞した。
舞台は旧ソ連時代。登場人物は主人公スタスと親友のアンドレイ、ヒロインのユリア。ちなみに彼女はヒロインのくせにスタスとアンドレイ両方と二股をかけるクソ女である。肝心のストーリーはというと、始終陰鬱な雰囲気。序盤からアンドレイの挫折やユリアの二股が描かれ、さっそく観客を胸糞悪くさせる。そしてラストでは、主人公の死亡という最大級の胸糞イベントが勃発。おまけに残されたアンドレイとユリアも不幸な目に遭うという、非常に後味の悪い鬱エンドを迎える。なんなら、そもそも宇宙飛行士の話だと思って鑑賞していたのに、いつまで経っても全然宇宙に行かない。
「オデッセイ」は世界的大ヒット作品。ヒロインが浮気したりラストで主人公が死んだりする、不幸しかない鬱映画が大衆ウケするなんてあまりにも衝撃的だった。世間はいったい何考えてんだと思った私は、ツイッターで「オデッセイ」の感想を検索してみた。
「何度も観たい」「ラストでニヤッとできる」「数々の苦難を楽しく乗り越えている」「前向きになれる」「子どもに見せたい」「この映画好き(*^o^)ノ⌒☆」
……と最初は思ったが、さすがにポジティブな感想ばかりで、「もしや私が見たのはあの『オデッセイ』じゃないのでは?」と思い始めた。確かによく考えたら、ロシア人の設定なのにがっつりアメリカンな男がバリバリ英語を話している時点で、若干嫌な予感はした。いやいやでも、明らかに見覚えのあるDVDジャケットだし、ジュラシックパークとか名作の並びにあったし、なによりタイトルに「オデッセイ」って書いてあったし! ということで、もう一度ジャケットの表紙に記載されたタイトルを確認すると、
「エンド・オブ・オデッセイ」